モスクワからの劇場だより

このページでは、モスクワ在住の方にお願いしてお寄せいただいた公演レビューをご紹介しております。
何のしがらみもないファンの率直な感想が興味深いことは周知のこととは思いますが、
特に彼女はクールな視点でバレエを観ていらっしゃるので、よく参考にさせていただいてます。

【レビュー一覧表】
2008年3月25日 ボリショイ劇場 ジゼル
2008年3月26日 ボリショイ劇場 The lesson』、『ラ・シルフィード
2008年4月9日 クレムリン大会宮殿(ボリショイ・バレエ) ラ・バヤデール
2008年4月10日 クレムリン大会宮殿(ボリショイ・バレエ) ラ・バヤデール
2008年5月1日 ボリショイ劇場 海賊
2008年5月11日 クレムリン大会宮殿(ボリショイ・バレエ) 眠れる森の美女
2008年5月16日 ボリショイ劇場 ガラ・コンサート
〜スヴェトラーナ・
アディルハーエワ祝賀〜
2008年6月6日 ノーヴァヤ・オペラ劇場
(ロシア・インペリアル・バレエ)
白鳥の湖
2008年6月9日 ボリショイ劇場 明るい小川
2008年6月13日 ボリショイ劇場 バヤデルカ
2008年6月16日 ノーヴァヤ・オペラ劇場
岩田守弘バレエの夕べ
〜ボリショイ劇場のスターたちとの共演〜
2008年6月28日 ボリショイ劇場 アニュータ
※演目のリンクをクリックすると各レビューにジャンプします。


2008・3・25 「ジゼル」 モスクワ・ボリショイ劇場
(ジゼル…ナジェージュダ・グラチョーワ)
(アルブレヒト…ニコライ・ツェスカリーゼ)
(ミルタ…マリヤ・アレクサンドロワ)
 この日の舞台は、素直に「良い舞台だったなあ」と思いました。ジゼルをはじめ主なキャストの印象も良かったですし、舞台の雰囲気もなかなか。カーテンコールも大盛況。終演後に感じたのは、満足感…まさにその一言に尽きるでしょう。

 まず何よりも、グラチョーワのジゼル。テクニック、表現力、存在感・・・観る者を魅了してくれます。最近では確か2007年2月の初めにも彼女はジゼルを踊りました(この時も素晴らしかった)が、あの時よりもさらに”ジゼル”の姿をはっきりと見て取れました。
 彼女はもう若いとは言うには少し年を重ねすぎていますが、それでも“少女”でした。一幕目での彼女は、儚げで可憐なジゼルそのものだったのです。はしゃいだり、ちょっとすねたりしてみる仕草のかわいらしいこと…。
 二幕目は彼女の実力の出しどころ。静かに優雅に、美しく踊ります。彼女のジゼルには、儚さの中にも女性らしい強さを感じます。踊りも相変わらず群をぬく巧さ。足音ひとつしない静かな踊りでした。一つ一つの動きが丁寧で、手抜きがない。ぜひとも若手にこの点を見習ってほしいもの。

 アルブレヒト…濃い。まあ、ツェスカリーゼですから。いつでも独特の持ち味と魅力をふりまいている人ですが、アルブレヒトもまた個性的。ちょっとアルブレヒトのイメージが違うけれども、それはそれでアリのような気にさせるところがすごい。
 例えば、ジゼルが倒れて死んでしまう場面。ショックで崩れ落ちてしまうその表情からは、悲しみや絶望の色ではなく、どちらかというと感情をうまく表現できない困惑の色が感じられました。好意的に解釈すると、こういう表現もありなのかも…と思ってしまいます。それから、一幕で楽しそうにジゼルと戯れる場面では、幻のお花畑が見えました。何とも乙女チック。王子というより乙女?それくらい楽しそうに踊っていたのです。
 最近ちょっと身体が重そうなツェスカリーゼ。踊りのコンディションも良いとは言えない日が結構ありますが、この日はまあまあでした。特に目だったグラつきもなかった…かな?でもやっぱり…もうちょっと身体絞って欲しいところ。そうしたらきっともうちょっとキレが良くなると思うんだけれども。

 アレクサンドロワはいつも“私ここよ!”といった迫力と存在感を持った人ですが、この日は正直な所いつもよりやや印象が薄い気がしました。特に何が悪かったとかはないのですが、逆にここが良かったという所がなかった気もします。もしかしたらジゼルとアルブレヒトで十分濃かったから、少し控えめに見えただけなのかもしれません。彼女の踊りは安定感があるという印象がありますが、この日も迫力こそいつもより控えめなものの、しっかりと踊っていました。やっぱり彼女はミルタだなと思いました。
 そういえばこの日のオーケストラはゆっくりめで演奏しているように思われたの
ですが、終演後のアレクサンドロワが言うには「私の所はいつもより早かったわよ」とのこと。指揮者も彼女の迫力に気を引き締めすぎたのか?真実は謎のまま。

 他は…ハンスがギオルギー・ゲラスキンで、パ・ドゥ・ドゥがクセーニヤ・ケルンとアンドレイ・バローチン。ウィリー2人はネリー・コバヒゼとオリガ・ステペレツォーワ…とりあえず名前を挙げて見たものの、特に書く事はないんです。印象になくて…;すみません。ハンスはちょっと力んでる感があったような気も。
 最近、コールドバレエがいまいちピシっと揃わないボリショイバレエ。この日はどうだっただろう?揃ってないと上手い人は目立つし、下手な人もまた同じ。その人たちを見つける楽しさはあるけれど、やっぱり綺麗にそろってこそコールドバレエ。舞台全体を美しく見せるためにも、気持ちもう少しでもそろえてほしいと思う今日この頃。




2008・3・26 「THE LESSON/ラ・シルフィード」 モスクワ・ボリショイ劇場
まずは最初に「THE LESSON」。
教師…セルゲイ・フィーリン
生徒…ニーナ・カプツォーワ
ピアノ教師…アンナ・アントロポーワ


 小作品のバレエです。この作品はとてもダークな世界観を持ち、かなり好みが分かれるでしょう。はっきり言って気持ち悪さすら感じるのですが、そこがこの作品の持ち味です。
 ヘンタイ教師といたいけな生徒、厳しいピアノ教師。出演者この3人。
 舞台は陰湿な雰囲気のバレエレッスン教室で繰り広げられます。教師と生徒だけだと異質な空間に思われますが、ピアノ教師の存在が現実感を持たせます。役それぞれにイメージがあっているかはとても大事です。そしてそれだけではなく、3名の相性がようかどうかがこの作品を作り上げる鍵になるでしょう。

 フィーリン、久々の出演でした。失礼ながら…とても変態度が高めでした。狂気の人、そういう役なんですが。いうだけではなく、かなりエロおやじっぽかったです。まあ、そういう役なんですが。いつものさわやか王子姿はどこへやら…全身からギラギラした変態オーラを発していました。逃れようとしても絡まりついてくるような執拗さで、逃げ出したくなる怖さでした。
(前回観た時はこの役はグダーノフ。彼の場合はごく普通の人っぽいのに、エキセントリックな感じが妙にリアルで、背筋がヒヤリとする怖さを感じました。)
 生徒役はカプツォーワ。この役は彼女にぴったりだと思います。他にルンキナやアレクサンドロワがキャスティングされていますが、やはりカプツォーワでしょう。彼女には特に“いたいけさ”を感じます。最初に観た時にあまりにも似合っていてまた観たいと思いましたが、こうしてもう一度観てみると、やっぱり役も、黄色い衣装もよく似合っているのです。個人的には、グダーノフとの方が、相性がいい気がします。
 ピアノ教師のアントロポーワはこの役では初の出演でした。まあまあ…かな。びくっとさせるような怖さはあったのですが、“厳しさ”という印象はありませんでした。あと加えるならば、もう少し冷たい印象が欲しかったです。 

次は「ラ・シルフィード」。
シルフィード…ナターリヤ・オシポワ
ジェイムズ…ヴャチェスラフ・ロパーチン
魔女…イリーナ・ジプローワ

…確かに短い作品ですが、仮にも幕物。小作品の後に幕物はやめて欲しい…疲れます。汗。

 オシポワといえば、勢いがあってエネルギッシュなイメージがあり、あまり妖精のようなふんわりとした役はちょっと…と思っていました。しかし、思ったよりシルフィードになろうとしているのがわかりました。踊り方がいつもより丁寧な感じです。意外な感じがしましたが、元々身体能力が高いのでしょうか、それなりにキレイに踊っていました。表情の険しさが時々気になったけれど、まあまあでした。
 ジェイムズ、ロパーチン。この日は調子良さそうでした。着地やポーズがスタッときれいに決まっていました。踊りがなめらかできれいです。特に手足の関節のやわらかさは素晴らしい。
 この日の魔女は女性でした。ジプローワ。
 ほくそ笑む感じの魔女。男性演じる魔女も不可思議でいいですが、女性だとやはり魔“女”だなあと思います。意地悪な感じがします。


2008・4・09 「ラ・バヤデール」 
モスクワ・ボリショイ劇場
inクレムリン宮殿劇場
 
(ニキヤ…スヴェトラーナ・ルンキナ)
(ソロル…ニコライ・ツェスカリーゼ)
(ガムザッティー…マリヤ・アレクサンドロワ)
 ボリショイ新館で結構回数を重ねて観ている演目ですが、クレムリンだとまたちょっと違った雰囲気。オーケストラの音がマイク通して聞こえてくることとか、ステージがだいぶ広く感じられることとか。でもまあ、内容は同じです。
(↑そのせいか、袖に引っ込む時に歩幅間違える?ダンサーが何人か…)

 ルンキナは…清楚で、綺麗で可憐なバレリーナだと思います。ただ、ニキヤはどうも彼女に合ってないような気がしてなりません。動きひとつひとつに、“舞姫”としての雰囲気がなかったように感じられました。たぶん、艶っぽさがそこに足りなかったのだと思います。そしてこの日は踊りもあまり調子が良くなかったようです。特に2幕目の結婚式で花かごを持って踊る場面の所は、怪我をしたのでは?と思うくらい、踊りになっていませんでした。
(2幕後のカーテンコールに姿がなかったし、どこか調子が良くなかったのでしょうか…)
 それでも3幕目は持ち直したのか、しっかりと踊っていました。1幕目のガムザッティとの修羅場(!?)は、割と良かったと思います。控えめでも意思はしっかりと持っているニキヤでした。

一方そのガムザッティ、アレクサンドロワ。自信満々。それがしっかりわかりました。事実、踊りも然ることながら、ガムザッティとしての彼女は凛として格好良かったです。毎度ながら、彼女がその役を通して伝えようとするものがよくわかります。彼女のガムザッティは初めて見ましたが、よく似合っていました。
 踊りがいつも安定しているイメージのあるアレクサンドロワですが、この日は特にコンディションが良さそうでした。表情も踊りも生き生きとしていて、「あ、今日キレイだな〜」とつい独り言。

 ツェスカリーゼのソロルは何度か観た事があるのですが、役について敢えて何か言えるとしたら“馴染んでいる”? この日はそこそこ調子も悪くなさそうで、しなやかに踊っていました。
 この頃ちょっと踊りが重い感じがする事があったり、なかったり…。最近は1幕目ちょっと重い感じで、2幕目、3幕目になるとエンジンがかかっていくのか、踊りのキレが良くなる…ということが多いように思われます。(多かれ少なかれこういった事はあるのでしょうが、出だしの動きの鈍さが少し目立つのです)。そんなわけで、少し気になるのは体型…顔とお腹が…(汗)でも2月頃よりは良いかも。それでも踊りの印象が軽やかなのが不思議です。

金の像はデニス・メドヴェージェフでした。太鼓の人たちの踊りといい、この辺りの場面はスピード感があって盛り上がりますね。にぎやかで派手ですし、つい踊りのテクニックに目がいってしまいがちだと思うのですが、勢いだけではなく丁寧に踊っているところがいいですね。

3幕、影の王国の3つのバリエーション。
第1…エレーナ・アンドリエンコ
第2…クセーニヤ・クレン
第3…チナーラ・アリザゼ
・・・濃すぎです。


2008・4・10 「ラ・バヤデール」 
モスクワ・ボリショイ劇場
inクレムリン宮殿劇場

ニキヤ…マリヤ・アラシュ
ソロル…アレクサンドル・ヴォロチコフ
ガムザッティー…エカチェリーナ・シプリナ
 ニキヤはポリーナ・セミオノワの予定だったのですが、いつの間にか降板していました。アラシュはガムザッティで観た事があるのですが、ニキヤでは初です。身体は華奢で、しかし顔や雰囲気が濃いので、“舞姫”の要素はあったように感じました。おそらく彼女を単体で見たとしたならニキヤとしては少し違う気がしたと思うのですが、ガムザッティのシプリナと対比して見るとまあまあ良いかも…と思いました。
 というのも、どうしてもアラシュは濃さが故に迫力が出て、ソロルとそのまま駆け落ちしてしまいかねないと思わされてしまうのです。しかしガムザッティがもっと迫力があったので、そんな心配は無用でした。でもやっぱり目を見開いて喜ぶ表情はちょっと怖いので、少しおさえてほしいです・・・彼女の持ち味が生かされつつ、哀愁が見えてきたら良いなあ…と思います。

 シプリナのあの貫禄は一体どこから来るのでしょうか…まさしく王女です。最近観た彼女の役の中では、このガムザッティはなかなか演技が良いと思います。ただ迫力や怒り、怖さだけではなく、葛藤したり自分を落ち着かせようとしたりする様子がよくわかり、以前よりだいぶ役の雰囲気が出ています。
 踊りは…やっぱりグラつくことがあるので、そこが勿体無いです。アラシュとは相性がいいのか?修羅場はなかなかいい感じでした。ジャンプのタイミングもぴったりとまでいかなくとも、揃っていました。
 
 ソロル、ヴォルチコフ。初ソロルだったそうです。1幕目、2幕目と踊りがちょっとかたい感じでしたが、3幕目では良くなっていました。最初だから力んでいたのでしょうか? どんなソロルだったかな…ちょっと忘れてしまいましたが、冷静な感じでした。

 金の像はイワン・ワシーリエフ。勢い満点で受けが良いのですが、いつももう少し抑え目でも良い位スピード、テクニック勝負!…で、そこが気になっていました。しかしこの日はいくらか余裕を持って踊っているようで、落ち着いて観る事できました。

影の王国ヴァリエーション
第1、エカチェリーナ・クリサーノワ …良かった
第2、ナターリヤ・オシポワ …まあまあ
第3、アンナ・ニクーリナ …いまいち
段階評価みたいになってしまいました。笑


2008・5・1 「海賊」 モスクワ・ボリショイ劇場
メドーラ・・・マリヤ・アレクサンドロワ
コンラッド・・・ドミトリー・ベロゴロフツェフ
ギュリナーラ・・・エカテリーナ・クリサーノワ
ビルバント・・・リナット・アリフーリン
  主要の役の4名それぞれの個性を発揮していて、役同士のバランスが取れていて 良かったと思います。見所もなかなかありました。演目も明るくコミカルな感じ なので、舞台上も客席も楽しそうな雰囲気でした。

  アレクサンドロワは、いつも安心して見る事ができる人の一人です。ピルエット などの回転系では軸足がしっかりと安定していて、クルクルときれいに回ってい ました。ジャンプの後の着地がドスンと音が響く事がたまにあって少し気になり ましたが、それ以外は良かったです。そして、むしろ海賊達をひきつれていきそ うな存在感と迫力。思わず笑ってしまいそうなくらいのすごさなのですが、女性 らしい華やかさもあわせ持っていて好感が持てます。

  ギュリナーラ役のクリサー ノワがふわふわ可憐なイメージなので、このくらい多少男前な方が舞台にメリハ リがついて良いのかも・・・? そのクリサーノワですが、モスクワっ子に受けが良い模様。彼女の出番には盛大 な拍手が送られていました。元々可愛らしくて華やかな印象がある彼女ですが、 頓に最近は主役など目立った役を踊る事が増え、存在感も加わったように思われます。
  2幕目にギュリナーラが登場した時には、舞台にぱっと花が咲いたようで した。踊りもそんな彼女の雰囲気動揺柔らかくふわふわとした感じで、特にジャ ンプが軽やかです。時々ぐらつく事がありますが、そこも愛嬌かと。欲を言えば 、もう少しきめるところはピシッときめてほしいです。パシャをからかうような いたずらっぽい仕草が可愛らしかったです。
  
  コンラッドはベロゴロフツェフ。この役はあまり出番も踊りの見せ所もなく、い まいち判断しにくいかな〜…と思うのですが、踊るところはしっかりと見せてく れました。何となく力んでいる感じがしなくもなかった(動きひとつひとつは大丈 夫だったけれど、全体の流れがどことなくギクシャク)のですが、まあまあ良かっ たです。
  海賊たちの中では穏やかな印象ですが、オーラが首領です。演技はあく までもさり気ない感じで大げさ過ぎず、しかし確かな存在感がリーダーらしさを 醸し出していて良かったです。
 
   アリフーリンは、悪そうな感じの海賊でした。ギラギラとした感じではないので すが、どことなく黒い空気がまとっている感じで、コンラッドよりも悪い事を考 えていそうな雰囲気です。髪の色が黒いせいでしょうか。(ベラガロフツェフは金 髪っぽい栗色)フォルバンダンスはなかなか良かったと思います。ぴしっときまっ ていました。
  
  奴隷のパ・ドゥ・ドゥはアナシタシヤ・ガリャーチェワとデニス・メドヴェーヂ ェフ。メドヴェーヂェフが最初ちょっと硬かった感じがしましたが、段々と踊り にのっていって元気いっぱいな感じで良かったです。
  あとは・・・オダリスク。オリガ・ステプレツォーワ、アンナ・チホミローワ(初) 、アンナ・レオノーワ。初めてオダリスクを踊ったチホミローワは、まずまず無 難だったと思います。特に目立っていたのはレオノーワでしょうか・・・迫力が あります。 いつもこの海賊を観る度に思うことなのですが、3幕最後の大掛かりな船のセット のシーンはディズニーっぽいです。そのシーンだけ別世界・・・(笑)
 

2008・5・11 「眠れる森の美女」 
モスクワ・ボリショイ劇場 inクレムリン大会宮殿

オーロラ・・・エカテリーナ・クリサーノワ
デジーレ王子・・・ルスラン・スクワルツォフ (初)
リラの精・・・マリーヤ・アレクサンドロワ
 客席の照明が落ち、開幕直前にアナウンスが入った。「本日はオーロラ姫のナヂェージュダ・グラチョーワに代わりまして、エカテリーナ・クリサーノワが出演します。」ザワザワと会場がざわめく。私もその一人だった。グラチョーワ目当てで行った公演だったので、正直に言うとこの瞬間に一気に気持ちがしぼんだものです。しかしそんなやる気のない気持ちもあっという間にどこへ行ったものか、クリサーノワの予想以上の好演にハッと目を覚まされます。幕が開けてすぐに、やっぱり観に来て良かったと思い直しました。

 オーロラ姫のクリサーノワ。この日は、まず何よりも全幕通してキレが良かったです。出だしから絶好調で、気合を感じられました。ふわふわとした可憐さはいつも通りなのですが、心持ち気合の入り方がキレに出ているようで、ぴしっとポーズが決まるのです。元気はつらつとした雰囲気も踊りも、この役にぴったりでした。
 特筆すべき場面は一幕のローズ・アダージョでしょう。踊りのキレが最高潮でした。見所と言われる4人の王子とのアチチュードのバランスは、微動だにしないというほどではないですが、揺らぐことなくバランスを保ち、ほどよくリラックスした姿で始終笑顔だったのが印象に残っています。跳躍もいつもより足が上がり、伸びやかさが気持ち良かったです。
 結婚式のパ・ドゥ・ドゥ。こちらも良かったです。少女の中にも少し大人っぽさが漂っていました。最後まで気を抜くことなく踊っていて、途中僅かな乱れこそあったものの、全体を通して文句なしに良かったと思います。彼女の成長ぶりがうかがえました。

 スクワルツォフはデジレ王子初でした。立ち姿も優しげで、優雅といえばまあ優雅な感じでもありました。クリサーノワと並ぶとちょっとだけお兄さん風で、バランスも良かったです。彼がこのような王子の役を踊ると、頼りある感じではないのですが、前に出すぎずすっと手を差し伸べるようなさりげない優しさがあり、穏やかさを醸し出しています。王子にも色々タイプがあるものです。
 肝心の踊りの方は、残念ながら特にここが良かったというのがないのですが、まずまずといった所でしょうか。良かったとはっきり言えないけれど、反対に良くなかったとも言えません。クリサーノワの調子が良かったのもあって、あまり目立たなかったのかなとも思います。リフトやサポートは良かったと思いますが、それでもやっぱり踊りで何かしら印象が欲しいところです。

 アレクサンドロワはすでに決まり文句ともなりつつありのですが、いつでも確かな踊りを見せてくれます。ムラがあまり見られないのです。時々荒っぽくなっていることもありますが、大抵は自信が溢れた凛とした踊りで、見ている側を安心させるような効果があります。この日もしっかりと踊る姿を見せてくれました。
 そういった踊りと彼女の個性は、このリラの精という役どころも似合っていると思います。他の精たちを引きつれて出てくる場面など、「これならついて行きたい」と思わせる存在感と率先力、華やかさがあります。踊りに関してはただ一言、全幕通して平均的に良かったと言えますが、敢えて一つ良かった点をと言うならば跳躍でしょうか。いつもよりも着地が軽やかだったように思われました。場面一つ一つでしっかりと印象を残せるのはさすがです。

 青い鳥(アルチョム・アフチャレンコ)、フロリナ姫(エレーナ・アンドリエンコ)。お姉さんと若いツバメといった雰囲気の2人でした。まあ、アンドリエンコは結構なベテランで、オヴィチャレンコはまったく若手なので無理もないでしょう。しかし2人とも線が細く華奢なので、体格のバランスは良いかなと思います。
 オヴィチャレンコは青い鳥デビューでした。まだまだ細すぎてリフトとなると少し危なっかしさがありますが、バリエーションでの軽やかさはなかなか良かったです。アンドリエンコは落ち着き具合がちょっとフロリナ姫のイメージではなかったですが、そこはこの際目を瞑るとして、なめらかで流れるような踊りは綺麗でした。

  魔女カラボスはゲンナージィ・ヤーニンでした。表情の変化が素晴らしいです。目を見開いて威嚇してみたり、ふっと目を細めたかと思えば仰け反って大口開けて高笑いしてみたり、意地悪く流し目で睨みつけてみたり…と、あっぱれとしか言いようがありません。動きも同様、痙攣、地を這うようなするするとした歩き方、急に俊敏になってマントを振り回す様など、迫力があります。あんな魔女に迫られたら卒倒してしまいそうです。役者ですね。余談ですが、カラボスの家来のネズミがリアルで気味が悪いです。
  他に印象に残っているのは、ダイヤモンドの精のアナスタシヤ・ガリャーチェワ。何となくいつも印象に残る彼女です。どう表現したらいいのか悩む所ですが、手の動きが何かをつかむ様な感じで踊りは柔らかく、特徴があってすぐに彼女だと分かります。他の宝石の精と比べると、やっぱりオーラが違うなと思いました。

 グラチョーワのオーロラ姫はやっぱり見たかったですが、ここは素晴らしい踊りを披露してくれたクリサーノワに拍手を送りたいと思います。良い舞台でした。 
  

2008・5・16 「ガラ・コンサート〜スヴェトラーナ・アディルハーエワ祝賀〜」 
モスクワ・ボリショイ劇場
 ボリショイ劇場のスヴェトラーナ・アディルハーエワの先生の誕生日祝賀ガラ・コンサートという事で、出演者は彼女の教え子にあたるダンサーたちによる公演でした。また、マリインスキー劇場からウリヤーナ・ロパートキナとイワン・コズロフが客演に来ていました。コンサートは三部に分かれており、一部は「白鳥と湖」より第3場、二部は「スパルタクス」より第2幕、三部はコンサート形式、という構成。それぞれに見所がたっぷりの充実した公演でした。
                                          
第一部 「白鳥の湖」より第3場
オデット/オディール …アンナ・アントニーチェワ
王子 …ドミートリー・グダーノフ   
悪の天才 …ニコライ・ツィスカリーゼ

 誰よりも異色を放ち、強烈な印象を残していったのはツィスカリーゼをおいて他はないでしょう。そもそも役の存在もメイクも濃いのですが、加えて彼の濃いオーラが…“彼が踊った後に残り香がありそう”といった感じです。気合もたっぷり、鮮やかな回転で会場を沸かせてくれましたが、少々お疲れの様子。最近身体を絞ったのでしょうか、先月見た時より身体はもちろん、随分とすっきりとした顔をしていました。
 オディールのアントニーチェワ、彼女も魅せてくれました。踊りも調子が良さそうで、フェッテも最後までがんばっていました。華やかさと小悪魔っぽさを併せ持つ、表情の変化も良かったです。オディールの雰囲気が出ていたと思います。
 グダーノフは彼ら(特に悪の天才)に押され気味感がありました。登場もさり気なさ過ぎてもうちょっとアピールして欲しかったけれど、仕方がないのかもしれません。踊り自体はまあまあでしたが、リフトやサポートはハラハラさせられる事が何度かありました。
 花嫁たちの配役は、ハンガリー(ユーリヤ・グレベンシュコーワ)、ロシア(タマーラ・アバケリア)、スペイン(タチヤーナ・ラザレーワ)、ナポリ(オリガ・ステブレツォーワ)、ポーランド(アンナ・レオーノワ)でした。…まだまだ甘さが見える花嫁たちで、ただ一人レオーノワだけ安心して観る事ができました(迫力があり過ぎでしたが)。道化は岩田守弘さんでした。少し真面目すぎるかな〜とも思いますが、そこが彼らしいのかもしれません。きっちりと踊るところはさすがです。

第二部 「スパルタクス」より第2幕
スパルタクス …ドミートリー・ベラガロフツェフ
クラッスス …アレクサンドル・ヴォルチコフ
フリーギヤ …アンナ・アントニーチェワ
エギナ …エカテリーナ・クリサーノワ

 男性陣が大活躍の勇ましいバレエで、一部とは趣がからりと変わります。ベラガロフツェフはこのスパルタクという役が似合っていて、勇ましい雰囲気が良かったです。踊りはまずまずの調子だったと思いますが、この日に限らずこの最近はキレが今ひとつで物足りなさを感じます。一方クラッススのヴォルチコフですが、とても生き生きとした踊りでこの二部では特に印象に残っています。エギナを軽々とリフトする姿は、余裕すら感じられて逞しかったです。
 クリサーノワは、今の段階ではエギナという役に合っていないのだろうというのが第一印象です。色気が感じられませんでした。細すぎる体型のせいもあるのでしょうけれど。フリーギヤはちらっと出てきただけなのであまり書けることはありませんが…アントニーチェワ、綺麗でした。
 ついでに…他にはイワン・ワシーリエフ、ルスラン・プローニン、デニス・メドヴェーヂェフの3人を筆頭に、農民たちが元気に踊っていました。農民、女性陣のほうはアレーシヤ・ボイコ、スヴェトラーナ・グネドーワ、クセーニヤ・ケルン、ユーリヤ・ルンキナ、アナスターシヤ・スタシュケヴィッチが最初にちらっと出てきて、あっという間に去っていきました。このような迫力のあるバレエはやはり盛り上がりますね。それぞれ主要の役の踊りはもちろん、群舞も格好良いです。

第三部
合間にアディルハーエワのバイオグラフィーを追っていく映像を流すという演出を織り交ぜた、コンサート形式…という説明で様子は伝わるでしょうか。目玉はロパートキナとコズロフの「愛の伝説」とメルクリエフとクリサーノワらによる「ドン・キホーテ」。
                      
「くるみ割り人形」よりパ・ドゥ・ドゥ(振付:ワイノネン)
 アナスターシヤ・スタシュケヴィッチ、ヴャチスラフ・ロパーチン
   ↓
元気の良い女の子を頑張って支える男の子、といった感じのカップルでした。スタシュケヴィッチはテクニックという面では巧いと思うのですが、荒っぽさが目立ちます。相手のロパーチンがなめらかで流れるような踊りなので、余計に目立ちます。あともう少し丁寧さが欲しいところです。

「狩人と鳥」よりデュエット(振付:ヤコブソン)
エカテリーナ・クリサーノワ、パヴェル・ドミトリチェンコ
   ↓
 元気が良くてピチピチとした小鳥を追いかける不審な狩人…正直な所あまり印象に残っていないのですが、悪くもなかったかなと思います。
                                
「石の花」より鉱山の女王とダニーラのアダージョ(振付:グリゴローヴィッチ)
アンナ・アントニーチェワ、ドミートリー・ベラガロフツェフ
   ↓
なかなか息の合った二人で、引き込まれました。アントニーチェワ、白鳥の時や他の公演でも感じたのですが、最近調子良さそうです。
                                
「眠れる森の美女」よりフローリナ王女と青い鳥のパ・ドゥ・ドゥ(振付:プティパ)
オリガ・ステブレツォーワ、アンドレイ・バローチン
   ↓
 元気に飛び回る青い鳥と穏やかな雰囲気のフローリナ王女。ステブレツォーワは踊りも雰囲気もおっとりとした感じで、ちょっとフローリナ王女としては落ち着き過ぎのような気がしました。バローチンは跳躍が軽やかで綺麗でした。
                              
「愛の伝説」よりメヌフネ・バヌーのモノローグとメヌフネ・バヌーとフェルハダのアダージョ
(振付:グリゴローヴィッチ)

ウリヤーナ・ロパートキナ(マリインスキー劇場)、
イワン・コズロフ(マリインスキー劇場)
   ↓
 ロパートキナは思ったより印象が薄かったのが残念。しかし、それでもやっぱり綺麗です。ボリショイのダンサーとは違う美しさがありますね。コズロフはもう少し身体を絞ってほしいところ。彼のせいではないのですが、コズロフの衣装がひどすぎます。鮮やかな空色の全身タイツ+ショッキングピンクの小さいマント…極めつけが頭の上の両耳の上に生えている羽。一言で言い表すなら、“アニメ戦士”。集中して踊りを見たいのに、この衣装が気になって台無しでした。
                                
「ドン・キホーテ」より場面抜粋(振付:プティパ、ゴルスキー)
キトリ …エカテリーナ・クリサーノワ
バジル …アンドレイ・メルクリエフ
町の踊り子 …アンナ・レオーノワ
エスパーダ …アルチョム・シュピレフスキー
第1ヴァリエーション …クセーニヤ・ソローキナ
第2ヴァリエーション …アンナ・タタローワ
   ↓
 キトリ&バジルはとても仲が良いカップルで、始終笑顔でした。クリサーノワはこの日3度目の出番ですが、中でも特に気合が感じられました。キトリにしてはちょっと幼い感じがしたものの、元気があって良かったです。衣装が朱紅一色だったので、黒が入っているともう少し大人っぽさが出るだろうなと思いました。色自体は似合っていました。メルクリエフは踊ってもキマっているし、サポートをしても安定感があるし、好印象です。レオーノワは、彼女独自オーラと余裕の表情で踊っていました。対するシュピレフスキー。全幕でこのエスパーダを踊っているのを見た時に、あまりにもギクシャクとしていたので心配だったのですが、思ったよりも割と良くなっていました。上背もあるのでなかなか様になっていたと思います。ヴァリエーションの2人は…あまり良くなかったです。

「小さい馬乗り名人」
 北オセチヤ・アラニヤ共和国民族舞踊アンサンブル
 ↓
 少年たちによるアンサンブルでした。子どもとはいえ侮れません。レベルの高さは相当のものです。アクロバティックな踊りはかなりの迫力で見応えがありました。中には10歳にも満たないような小さな男の子もいましたが、大人顔負けの堂々たる舞踊に拍手喝采です。とても良かったけれど公演がかなり長かったので、このアンサンブルを見る頃にはお腹いっぱいでした。また別の機会にこれだけを観てみたいです。ところでこの演目が何故あったのか不思議に思っていると、後ほどわかりました。アディルハーエワがこの北オセチヤ・アラニヤ共和国の出身だそうです。

開演19時、終演23時半頃の長い公演でした。これだけ長いと終わる頃にはグッタリですが、一度に色んなダンサーの踊りを観られるのはガラ・コンサートの醍醐味ですね。
 

2008・6・6 「白鳥の湖」(全3幕) 

ロシア・インペリアル・バレエ団公演(芸術監督:ゲジミナス・タランダ)

inモスクワ・ノーヴァヤ・オペラ劇場

オデット/オディール…ヤロスラーヴァ・アラプターノワ(ペルミ劇場ソリスト)

王子…ナリマン・ベクジャーノフ

悪の天才…アレクサンドル・ヴォルコフ(ペルミ劇場ソリスト)

 

 

初めてこの劇団の公演を観ました。“演劇”とも言えるような演技の濃い劇団で、普段バレエの王道を行くボリショイ劇場を観なれている者としては新鮮でした。物語の最後がハッピー・エンドのバージョン。基本的に大筋は白鳥の湖の台本を辿っているのですが、所々個性的な演出があって中々ユニークで楽しめました。
  この劇団は総勢何名なのかわからないのですが、最多で1人3役をこなしているダンサーもいるくらいなので、そんなに大規模ではないのでしょう。ノーヴァヤ・オペラ劇場の舞台は奥行きも幅もあまりなく、そんなに広くないのだと思います。主役からコールドまで勢ぞろいするとかなり窮屈そうです。その分舞台装置は簡素にしてありました。少し遅れて行ったので詳細は不明ですが、この日は開演前に何か授賞式のようなものがあった模様です。


  幕が開いてまず驚いたのは、同じ衣装の2人がおどけながら出てきた事。そう、道化が2人いるのです。2人してじゃれあい始めました。踊る部分は2人で交互に踊ったり、同時に踊ったり…コントがある分、ちょっと端折られていました。かと思えば、王子の女友達と組んで踊りだしたりして、何とも不思議な道化達でした。ちょっと道化の踊りの見せ場が削られていて不満は残りますが、たまにはこういうのも良いかと。愛嬌があって可愛らしかったです。ちなみに道化の内の1人、アレクセイ・ゲラシーモフという人は国際コンクールで受賞したらしいです。(最近のペルミであった国際コンクール?) もう片方の道化はアレクサンドル・アリーキン。しかし、どちらがどっちなのかは分かりませんでした。

 オデットの登場場面はかなり目を惹くものがありました。オデット(オディール)役のアラプターノワが群を抜いて目立つのです。スタイルが良く、顔も美形で綺麗、踊りもどこか洗練された雰囲気。主役なのだから当然?…とも思いましたが、失礼ながらこの劇団にしては随分と綺麗でレベルの高い人だなあと感じました。
  幕間にプログラムを買って確認すると、ペルミ劇場のソリストでした。そして、最近のペルミ国際コンクールで2位だった人だそうです。納得。彼女の存在が、かなりこの舞台の雰囲気を引締めていたと思います。踊りもさすがに美しかったです。グラつかないし、軽やかです。挑発的だけど強すぎず上品なオディールの踊りが印象に残っています。


  悪の天才、ヴォルコフもペルミ劇場から客演に来ているソリストでした。確かに、オデットほどではないですが、他のダンサーと雰囲気が違うと感じられました。踊りのタイプが違うのがどことなく分かります。“悪”オーラはあまりしつこい感じではなく、割とアッサリ。メイクがビジュアル系バンドを連想させるような小奇麗な感じで、流麗な動きの妖しさと程よくマッチしていました。跳躍がいまいち(舞台が狭いせい?)のように思えましたが、全体的にキレのある踊りでした。

王子、ベクジャーノフ。この劇団のダンサーのようです。東洋系か中東系か、どちらかと言うとエキゾチックな容姿と、感情のこもった演技が個性的な人でした。踊りに関しては、ちょっとコメントに困る所です。踊り急ぎすぎてテンポが崩れる事があったり、跳躍の際の開脚が足を引きずる感じで適当になっていたりと、粗が目立つものの、彼なりに踊っているのが見て取れました。

 王子の婚約パーティーでは、花嫁が4人登場しました。加えてハンガリーの踊り3人、スペインの踊り3人、マズルカ6人、ナポリの踊り2人。ちょっと垢抜けない印象があるものの賑やかで華やかな場面でした。しかし道化があまりに茶々を入れすぎて、時折まとまりが悪く思えることもありました。せめてマズルカで道化も一緒に踊らないでほしかったです。こういう演出なのかと割切ってみれば、これはこれで楽しめると思いますが…

出演者が少なくそれぞれ容姿に特徴のある人も多いこともあって、割とすぐに色んな人を覚えることができるのですが、特に印象に残ったのがユーリヤ・ガローヴィナ。王子の友達を踊っていたかと思ったら、4人の白鳥に混じっており、続いて花嫁の1人。大忙しですが、手を抜くことなく丁寧に踊っていたのが良かったです。踊りが巧いというよりは、愛嬌があるタイプだと思います。


 舞台は全体的に結構明るく、案の定王子はオデットを救い出して、めでたし、めでたし、と幕を閉じました。あまり観なれないタイプの白鳥の湖でしたが、たまにはこういった趣向も楽しめて良いです。演技色の強い、個性的な劇団でした。ただし、やっぱり舞台を引締める要素は必要だと思うので、できれば主役級は踊れる人が踊って欲しいですね。そういう意味では、今回は中々当たりでした。

 

2008・6・9 「明るい小川」 
モスクワ・ボリショイ劇場

ジーナ…アナスタシヤ・ガリャーチェワ

ピョートル…アンドレイ・メルクーリエフ

バレリーナ…ナターリヤ・オシポワ

バレエダンサー…ヤン・ゴドフスキー

【あらすじ】(“バレエ辞典”のページより ソ連時代の集団農場コルホーズが舞台で、主役はそこで農業を学ぶピョ−トルと、その妻ジーナ。ジーナはかつてバレエを学んでおり、収穫祭のためにモスクワからやってきたダンサー、かつての同窓生と再会する。しかし夫ピョートルがそのダンサーに惹かれているので、複雑な気分だ。
彼女を励ますために、ダンサーとそのパートナーはある計画を立てる。仮面をかぶり、同じ衣装を着た二人のダンサーがピョートルの前に現れる。驚くピョ−トルだが、片方は愛妻ジーナの変装だった。2人は仲直りし、そして収穫祭は、成功に終わる。


  全体的にコメディータッチで、おもしろおかしく楽しめる作品です。見所は色々ありますが、特に有名なのは男性ダンサーがポアントを履いてチュチュを着て踊る場面でしょう。ここでいかにおかしみを醸し出せるかが重要です。この日はこの役をゴドフスキーが演じました。
  あまり大柄ではないダンサーで、案外すんなりとチュチュも似合ってしまっています。()しかし、可愛らしかったのですが、あまり面白さはなかったです。綺麗にまとまり過ぎている印象。“男性が無理して女性らしくしている感じ”があまり出ていませんでした。踊りは綺麗でしたが…敢えてやり過ぎなくらいに大げさにやると良さそうです。


  その逆に男装をして踊るのがバレリーナ、オシポワ。水を得た魚の様に、元気に跳ね回っていました。男性ダンサー顔負けのジャンプ力で、改めて身体能力の高さを実感しました。が、しかし。あまりに勢いが強すぎてダンサーというよりはスポーツ選手という印象。やたらと高く速く跳べばいいというものではないのです。いつでも絶好調でタフな彼女ですが、勢いだけではなくもう少し丁寧さをプラスすれば良いダンサーになるのになあ、と思わずにはいられません。やんちゃなバレリーナでした。

  アコーディオン奏者、デニス・サーヴィン。この役は、格好付けつつ気持ち悪さを全身から醸し出して欲しいところ。しかし、彼はあくまでもノーマルにええ格好しいの兄ちゃんでした。あまりに踊りも表情も淡白だったので、期待していたこちらとしては拍子抜け。そんなわけで、水色に花柄のシャツの胡散臭さも今ひとつ生きていませんでした。
  ガーリャという少女はアンナ・チェスナコーワが演じました。小柄な黒髪の可憐な美少女タイプのダンサーで、ボリショイでは貴重なタイプかと。踊りはともかく、結構目を惹きます。(最近では「眠れる森の美女」の赤ずきんを踊っているのを見ましたが、よく似合っていました。) このガーリャの黄緑色の衣装は今ひとつ合ってない気もしましたが、仕草や表情、踊りが可愛らしかったです。
  別荘に避暑に来ているオバサンはイリーナ・ジブローワ。若作りをしているという設定で、無理矢理動かない身体で踊ろうとするのですが、お茶目でかつ上品な感じが良かったです。トラック運転手アンドレイ・バローチンは犬の着ぐるみの時、楽しそうでした…他にもたくさんいるのですが、このくらいで。


  そんな感じで周りがドタバタやっている中で大人しそうなジーナ。演じるガリャーチェワも大人しいイメージがあるので、この役は似合っていると思います。騒がしい様子に囲まれながらも、ゆったりとしているのが主役らしいです。この日はガリャーチェワ、踊りの調子も良さそうでした。ピルエットは軸足がぶれることなく、綺麗に回れていました。

  対する夫ピョートルもまた、ゆったりとした主役。メルクーリエフが踊ったのですが、彼も好調のようで、全体的に踊りが良かったです。特に跳躍が綺麗でした。優しそうな笑顔でバレリーナに近づこうとする様子は、いかにも人が良さそうでしたが、それでも本性はやっぱり女たらしでしょう。それなのに憎めない感じは、演じるメルクーリエフの雰囲気の効果もあったと思います。

  思いの外控えめな感じがしなくもなかったですが、舞台全体としては中々良かったと思います。最後の収穫祭で全員集合して手を振っているのを見ると、何だか和みます。余談ですが、この日は観光客の団体グループがたくさん観劇していて、あちらこちらからどっと笑いが起こっていました。確かに、気軽にバレエを楽しむならこの作品は面白いかもしらません。またショスタコーヴィッチの楽曲が用いられプロパガンダ色が強く、舞台芸術や衣装にもいかにもソ連っぽさが表れたこの作品はロシアならではのバレエでしょう。 

2008・6・13 「バヤデルカ」 
モスクワ・ボリショイ劇場

ニキヤ…ナヂェージュダ・グラチョーワ

ソロル…ニコライ・ツィスカリーゼ

ガムザッティ…マリヤ・アレクサンドロワ

  グラチョーワは今シーズンだけでも、もう3回以上はこのニキヤを踊っているでしょう。しかし、彼女のニキヤは何度見ても素晴らしい、と言わずにはいられません。この日も全幕を通して本当に素晴らしかったです。
  特に2幕の結婚式の場面での踊りは哀愁漂う艶っぽい踊りが、切なく、息をのむほど美しかったです。ニキヤが走り出て、一歩足を前に出しただけで空気が変わりました。ニキヤが踊っている間だけ、違う空間にいる錯覚すら覚えました。花籠を上に掲げてフィニッシュ。つかの間の静寂の後、会場がワッと沸き、拍手とブラボーの嵐。ずっと拍手なりやまず…オーケストラの音を掻き消してしまうほどでした。次の場面に進めず、ヘビに噛まれるシーンを図るのが難しそうでした。
(それによって花の香りを嗅ぐ仕草ができなかったのは、ちょっと残念。)
  3
幕にはどうしても疲れが見えて少し崩れ所はあるのですが、それでも踊りは誰よりも美しく繊細で、さすがはグラチョーワと思わされました。


  ソロルもお馴染みツィスカリーゼ。久しぶりに彼が踊っているのを観ましたが、やや身体が重い印象。相変わらずしなやかな動きは綺麗なのですが、キレが今一つ。
2幕の結婚式のバリエーションが特に調子が良くなさそうで、一歩目でバランスを崩し足が縺れるような感じになってしまい、全体的にいつものツィスカリーゼらしくなかったです。オーケストラのテンポが、それまでゆったりだったのにバリエーションに入った途端に急ぎ足になったせいもあるでしょう。その直後のガムザッティのバリエーションの時もオーケストラは超特急で、アレクサンドロワも踊りづらそうでした。
 この日新鮮だった演出は、ニキヤがヘビに噛まれてとっさに駆け寄って行った事。
(いつもは柱の影で呆気に取られて佇んでいる)いつもよりも愛情がより見えて良かったです。3幕は踊りが少し良くなっていました。

 
 アレクサンドロワもいつも通り貫禄あるガムザッティーで、踊りもほぼ安定していました。しかし上でも述べた様に、結婚式のバリエーションでフェッテをはじめる時にオーケストラとテンポが合わず、足が迷ってしまう形になっていたのが、ちょっと残念。他にも
踊りに躊躇や粗が所々見られて、少し首を傾げてしまう事もありました。
  良かったのは、ニキヤと争うシーン。このシーンはグリゴローヴィッチ版ならではのジャンプを揃えてくる所が見所なのですが、
2人がクロスして反対側に抜ける時も、ニキヤがガムザッティーを追いかける時も、ぴったりと合っていて綺麗でした。ガムザッティーの落としたベールが踊りを妨げていてヒヤリとしましたが、うまくいって良かったです。

 
  この日は舞台が始まってすぐの
1幕目、皆踊りが恐々とした感じで、観ている方も冷や汗もの…何故か観ているだけなのに、緊張しました。後で聞いたところによると、床を新調したばかりだったそう。新しい床は滑りやすいのでしょう。しかし徐々に踊りもぎこちなさが取れ、2幕目は主役陣からコールドまで全体的に良かったです。
  黄金の像はイワン・ワシーリエフ。いつもスピードやテクニック重視の踊りが気になるのですが、この日は止まるところはピタッと意識して止まっていて踊りにメリハリがありました。しかし祝宴の人たちが最後踊り交わってフィナーレに幕へ引っ込む時のジャンプが、テンポも合っていなければ十分に跳べていなくて、そこが惜しいところです。
  マヌー
(壷を持って踊る女性)はアンナ・レベツカヤ。エキゾチックだけど、どこかさらりとした雰囲気の踊りが好印象。太鼓の踊りの一陣については…とりあえず一言、盛り上がったとだけ言っておきましょう。マゲダベヤのアントン・サヴィーチェフは、よくこの役を踊るだけに踊りが馴染んでいる印象で、かつ日によって演技に変化が見られるのが面白いです。この日は出だしに身体が少し重そうでしたが、力みがなくて良かったです。


  3幕の影の王国。コールドバレエは、ポーズをキープできる人、できない人がバラバラで、停止する時には乱れがちらほら見られましたが、動いている分にはまあまあ綺麗でした。バリエーションは、第1がエレーナ・アンドリエンコ、第2がエカチェリーナ・シプリナ、第3がアンナ・ニクーリナ。迫力と存在感ではシプリナがトップですが、踊りの滑らかさではアンドリエンコに分があります。ニクーリナは残念ながら他の2人のインパクトが強すぎて、ちょっと影が薄かったです。


2008・6・16  
「岩田守弘バレエの夕べ 〜ボリショイ劇場のスターたちとの共演〜」
モスクワ・ノーヴァヤ・オペラ劇場
出演… 岩田守弘 / ナヂェージュダ・グラチョーワ / マリヤ・アレクサンドロワ /
ニーナ・カプツォーワ / ヴャチスラフ・ロパーチン / ネリー・コバヒゼ / デニス・サーヴィン /
クセーニヤ・プチェールキナ/ セルゲイ・ドレンスキー / アナスタシヤ・スタシュケーヴィッチ /
アレクセイ・マトラホフ / ローラ・カチェトコーワ / アルチョム・アフチャレンコ /
オリガ・イワタ / イーゴル・シャルコフ
 ボリショイ劇場で活躍中の岩田守弘さんのリサイタル・コンサートが行われました。第一部がクラシック・バレエ、創作バレエの小品集、第二部が全一幕バレエ《魂》という二部構成でした。内容盛りだくさんで、岩田さんの他にも豪華キャスト出演という事で、とても充実した公演でした。
 特筆すべき演目はまず何よりも、第二部の「日本」を演出したバレエ、《魂》でしょう。日本人である岩田さんが振付をしただけに、しっかりと作品に“本物の”日本らしさが表れていました。バレエの“西洋”らしさと作品の“東洋”らしさが巧く調和しているという印象です。第一部はクラシック・バレエで代表的なパ・ド・ドゥ等と、個性的な創作バレエを織り交ぜたバリエーション豊かなプログラム。作品の素晴らしさももちろん、ダンサーの「これぞボリショイ」というオーラのある踊りをじっくりと堪能できました。

【第一部】 クラシック・バレエ、創作バレエの小品集
・ 《海賊》よりパ・ド・ドゥ (カプツォーワ、岩田守弘)
 カプツォーワは出てきた瞬間から、目を惹く華やかさと可愛らしさがあります。まさしくお姫様でした。コンディションも中々良さそうで、踊りもまとまりがよく綺麗でした。岩田さんは気合十分で、かなりの勢いが感じられました。元気な踊りが気持ちよかったです。出だしからとても盛り上がりました。

・ 《ロシアの踊り》 (オリガ・イワタ)
岩田さんの奥様です。ボリショイのダンサーとはまた違う雰囲気の踊りで、味がありました。可憐な感じが良かったです。

・ 《ラ・シルフィード》 (プチョールキナ、マトラホフ)
  ジェームスがシルフィードに出会って恋に落ちるシーンでした。率直に感想を述べると、2人とも普段踊っている役ではないので、がんばりは伝わりましたが、違和感がありました。プチョールキナ、踊りはまずまずですが、あまり妖精っぽくなかったです。もう少しふわふわとした感じが欲しい所。マトラホフも上品さがいまひとつ。

・ 《結婚式》 (カチェトコーワ、ドレンスキー)
  これにはちょっと、度肝を抜かれました。いきなりクラシックの世界からゲテモノ世界(失礼!)に連れて行かれた感じです。びっくりしましたが、面白かったです。結婚式の後に初めて2人きりになった所、というシチュエーション。花婿がタキシードのスラックスを脱いでパンツ一枚なのはきっとパーティーが終わって気を抜いている事を意味しているのでしょう。花嫁のドレスもスカート丈が膝丈なので奇抜な感じ。(単にバレエ仕様?)踊りもかなり奇妙。机が舞台上にひとつ置かれ、その周りを無表情な人形のように2人が踊ります。最後に花婿が花嫁のベールを剥ぎ取ってしまうシーンが、妙にリアルでおかしくも物悲しくもあります。こういった面白みをだせるかどうかは、踊り手にかかっているのでしょうね。パクリタル振付。音楽ブリゴーヴィッチ。

・ 《富士への登攀》 (岩田守弘)
  岩田さんご本人が振付をしたという作品で、伝統的な和らしさを出しつつもS・E・N・S・Eの迫力ある音楽が現代的。力強くもひょうきんな踊りが岩田さんの持ち味を引き出していました。振付がスピーディーで派手なので、盛り上がります。くるくる変わる表情も愛嬌があって良いです。楽しく明るい作品でした。

・ 《エスメラルダ》より“ディアナとアクティオン”のパ・ド・ドゥ(スタシュケーヴィッチ、ロパーチン)
  スタシュケーヴィッチはこの日調子が良さそうでした。普段気になる足捌きの雑さもなく、綺麗だったと思います。フェッテの軸足が傾き気味だったのがちょっと気になりましたが、概ね良かったです。雰囲気は華やかで気が強そうでした。
  ロパーチンは相変わらず、流れるような踊りが見事でした。特に決めポーズが緩やかでありながらピシっと決まるのが素晴らしいです。

・ 《囚われ人》 (サーヴィン)
  岩田さん振付の、無実の罪を着せられた男の苦悩を描いた作品。踊りの中にマイムがたくさん織り込まれていました。ドアを激しく叩き鳴らしたり、鉄格子をつかんで揺すったり…緩急が絶妙でした。
  サーヴィンは中々良い演技だったと思います。激しいけれども押し殺すような踊りからは、どことなく諦めが含まれたような絶望感を感じられました。音楽、F.メンデルスゾーン。

・ 《グラン・パ・クラシック》 (アレクサンドロワ、アフチャレンコ)
  アレクサンドロワはいつも以上に迫力を放っていました。登場した途端に舞台の空気が変わりました。それもそのはず、相手はまだまだ若手のアフチャレンコ。しかし、それにしても…やっぱりあのピシピシと伝わってくる気迫は尋常ではなかったです。かつ踊りはゆったりとし、品があって綺麗でした。さすがはボリショイのプリマ、といった貫禄を見せてくれました。アフチャレンコは軽やかな跳躍と身のこなしが綺麗ですが、この日の調子はあまり良くないようでした。

・ 《ゴパック》 (岩田守弘)
 ウクライナの踊り。真っ赤なニッカポッカのようなぶかぶかのズボンを穿いて踊る陽気な踊りです。ご本人が得意としているだけあって、俊敏で華麗な踊りが素晴らしかったです。会場も拍手大喝采でした。

・ 《 Осознание  (アサズナーニィエ) 》 (グラチョーワ)
  タイトル(ロシア語)を日本語に訳すと、“自覚、認識”という意味になります。岩田さんがグラチョーワの為に振付けた新作だそうです。音楽はG・マーラー。グラチョーワの存在感は、いたって静かでそこだけ別世界が生み出されている…というイメージ。そんな彼女に振付けられた作品だというのがよく分かりました。グラチョーワの踊りはまさに静寂のなかを動く感情そのものでした。“自覚”とはこんなにも複雑な感情なのだと、改めて思ったものです。ちなみに衣装は、まだらに濁った白とも灰色ともいえない色で身体にぴったりとしたもの。これも抽象的で複雑なものを表しているのでしょうか。普段クラシックの作品を踊るグラチョーワを見慣れているだけに、新鮮でした。人間の身体がこんなにも美しく動くものなのかと、驚かされました。
(※この作品は、いわゆる現代の抽象的なバレエと言えると思うのですが、そうなると解釈は難しい所です。あくまでも素人の個人的な解釈ですので、悪しからず。)


【第二部】 一幕バレエ 《魂》  

※以下、配役・あらすじ等はプログラムより引用、参考
( 音楽:《鼓童》 / 振付:岩田守弘 / 衣装:エレーナ・ザイツェワ / 文字揮毫:吉田良子 )
〜配役〜
老師・タケロー:サーヴィン 
アマテラス神:コバヒゼ
“三羽の鳥” コウノトリ:スタシュケーヴィッチ /  ツバメ:プチョールキナ / ハト:オリガ・イワタ
“五人の勇者”(動物は、それぞれの力を表す)
  「威力」(ドラゴン:岩田守弘)    「勇敢」(トラ:ドレンスキー)  「賢明」(ヘビ:ロパーチン)   
  「器用さ」(ヒョウ:マトラホフ)    「冷静」(ツル:シャルコフ)

〜あらすじ 〜
 東洋の神聖な儀式にまつわるお話。昔々、東洋のある島に人々が暮らしていた。あるとき、火山が噴火し、島は灰に覆われてしまう。木々や植物は絶えてしまい、人も動物も飢えに苦しむようになる。
 唯一この島を救う方法を知る老師の下に、混沌に襲われた人々を救おうと五人の勇者が集まる。老師曰く、「三羽の鳥が地に舞い降りる雨の夜、聖なる地を洗い清めよ。そしてみなの魂を神に捧げれば、神は目覚め、大地にお出になる。その時願いを申し出ることができる。」これを聞いた五人の勇者は、邪悪なものを払い、聖なる地を清めた。
 三羽の鳥が神を迎えに飛び立つ。勇者は自らの魂を捧げていく。素晴らしい自然と美しい夜空、愛しい人、師匠の下での厳しい修行、酒と博打を楽しんだ日々、子孫と民への思い……各々が抱く生の喜びの思いを魂に託す。五つの魂が全て捧げられると、神が目覚めた。そして三羽の鳥に導かれ、地に降りてくる。
 ところが、聖なる地に生きた人間の老師がいる事に神は気がついた…怒る神に老師は人々……老師がふと気がつくと、いつの間にか夜が明けており、辺りには誰もいない。ただそこには、一本の小さな木が生えていた。この木は、皆が創った明るい未来の象徴である。


  日本の和太鼓グループ鼓童の“族”という曲からはじまるこの作品。ほんのり朱を帯びた空は朝焼けか、それとも夕焼けか…静かに響く太鼓の音に合わせて五人の勇者がすっと現れます。老師も登場し、三羽の鳥がどこからか現れる。老師が三羽の鳥にハチマキを渡し、三羽の鳥が5人の勇者に手渡す。勇者は渡されたハチマキを結ぶ。この“ハチマキを結ぶ”という演出がとても日本らしい神聖な儀式のようで、これからはじまるという緊張感がひしひしと伝わってきます。
  いよいよ勇者たちが踊り始めます。段々と太鼓の音が強くなっていくにしたがって、五人の勇者の舞も激しさを増す、その様子がとても格好良く迫力があり、そして美しいです。

  五人の勇者それぞれのもつ力が、しっかりと踊りに表れていました。ドラゴンの岩田さんは弾ける様な力強さ、トラのドレンスキーはどっしりとした力強さ。ロパーチンのしなやかで力強い動きは、まさにヘビ。鋭い動きが力強いマトラホフは、ヒョウ。ツルのシャルコフのゆったりとした力強さ……役とダンサーの個性が合っていて、なるほどと頷けました。
  三羽の鳥は、勇者とは対照的に柔らかい女性らしい踊りが対照的。コウノトリのスタシュケーヴィッチは特に勢いのある鳥で目立っていました。オリガ・イワタは、素朴な感じのする動きがハトっぽい気もします。プチョールキナはどことなく元気な雰囲気がツバメ?…と、踊りの印象と役とを照らし合わせて何となく分析してみたという程度で、鳥のイメージは中々難しかったです。
  そして、老師としては存在感の重さに欠ける感じのするサーヴィン。しかしそこは、歳若い彼には無理もない話かもしれません。上背がある分、別の存在感という感じはしましたが…。

  五人の勇者が魂を捧げて次々と倒れていくその時、その度に後ろに掲げられた“魂”という文字が朱色に光って死を告げます。やがて全員が魂を捧げて横たわっていると、がらりと曲調が変わって、東洋でも日本とは違う、どこか異国っぽさを感じるような銅鑼の音が神の登場を告げています。アマテラス神のカバヒゼが登場です。
  重々しさや迫力にはやや欠けるものの、美形の彼女の容姿や佇まいには神秘的な雰囲気が感じられ、一際目を惹きます。この後はまた勇者たちが立ち上がって踊るのですが、白い面をつけているのがこの世の者ではないことを意味しているのでしょう。動きも面も不気味です。生きた人間である老師に気付いたアマテラス神が怒ってしまうシーンは、迫力が今ひとつで物足りなさがあったのは否めませんが、最後に向かって緊迫した雰囲気は良かったです。
  アマテラス神が怒りを解き、静寂が訪れる。老師が小さな木を見つけたところで、幕は閉じます。

  作品そのものは極めて日本的でありながら、バレエらしい異国情緒が漂っていて、大変独創的で魅力のある作品でした。日本を表した作品を、日本人ではない人が踊っている点も、この作品の魅力を大いに引き出していると思います。
  「クラシック・バレエには民族的な要素がある。それはつまりバレエを通して民族を見せるという事。自分は日本を見せたい――それはつまり、ボリショイの伝統を土台にした日本スタイルのクラシック・バレエ。」この作品に関するインタビューの岩田さんの言葉です。
  これはつまり、《魂》がボリショイのバレエである事を示しています。これは必ずしも“日本人ではない人が踊る”という事に拘っているとは言えませんが、近い事には間違いありません。ボリショイには、日本人は岩田さんただ一人なのですから。バレエと民族的要素の関係性の奥深さを感じた、そんな作品でした。


2008・6・28 「アニュータ」全二幕 
モスクワ・ボリショイ劇場

アニュータ…スヴェトラーナ・ルンキナ
モデスト・アレクセーヴィッチ(アニュータの夫)…ゲンナージー・ヤーニン
アルトィノフ(舞踏会でのアニュータの相手役、大地主)…ヴィターリー・ビクチミロフ)(初)


〜まえがき〜 この演目はアントン・チェーホフの短編「すねかじりのアンナ」を基に作られています。原作タイトルは「Анна на шее」(アンナ・ナ・シェ―)で、直訳をすると“首に下がるアンナ”という意味になります。この言い回しはことわざとして使われる事が多く、意味は邦訳タイトルの通り“すねかじり”。実はこのタイトルが言葉遊びとなっており、文字通りに解釈をすると、“首に下がるアンナ勲章”とも受け取る事ができるのです。(アンナ勲章はアニュータの夫、モデストが夢にまで見るほど切望している。) ちなみにアニュータは、アンナの愛称です。

 ロシア文学から創られた作品だけに、文学色の強いバレエでした。あまりバレエらしくないバレエで、歌のないミュージカルのよう。それでもやはりバレエなので、踊りを存分に楽しみたい人にとっては物足りないかもしれません。賛否両論ありそうですが、個人的には文学をうまくバレエにした、完成度の高い作品という印象です。ロシアという国の性質やロシア人の気質がよく現れており、単純なストーリーに隠された複雑な心理模様が全体に散りばめられています。音楽や演出、振付、事物の展開…様々な面でコントラストが素晴らしいです。まさしくロシア文学の世界でした。
 
  そんなわけで注目したいのが、各ダンサーの演技。特筆すべきは、まずアニュータの夫モデストを演じたヤーニンをおいて他はないでしょう。いちいち演技が細かく、ネチネチとしていやらしい。そして禿げ頭にぽっこりお腹という、いかにもコメディっぽい姿からは想像もつかないほど、動きは俊敏で華麗。それでいて、格好悪く映るようにちゃんとキメている(!?)のが素晴らしいです。役者だなあ…とため息がでるほど素晴らしかったです。
  結婚後、寝室でアニュータを寝床に導こうとするのですが、手つきも表情もいかがわしく、回りながらガウンのベルトを解く踊りがとにかくいやらしい。横目でちらりと様子を伺いつつ、ちょこまかと忙しなく手足を動かす様が、いかにもケチっぽく頑固そうです。念願の勲章を閣下から授かった途端、態度がえらそうになって役所を闊歩する様子は、まるで裸の王様状態…あげればきりがありませんが、全幕を通して、小市民的な滑稽な踊りが可笑しくも皮肉で、ある種の物悲しさすら感じられます。

  そんなヤーニンとはまた違う、妙な濃い雰囲気を醸し出していたのが、ビクチミロフ。彼もまた役者でした。アニュータを舞踏会で誘って踊る、アルトィノフという大地主という役どころなのですが、ねっとりとしたしつこい色気が姿、踊り、視線、全体からにじみ出ていて…良かったです。何とも説明しがたいものがありますが、強いて言うならば、しっくりとくるものがあったという点でしょう。アクの強さが役柄と合っているように感じられたのです。インパクトの強いヤーニンの存在が薄れてしまう程に、独特の存在感を放っていました。この役が初めてだという事には驚きです。

  主役アニュータを演じるルンキナ。上品さと落ち着きのある華やかさ、哀愁漂う佇まいが、役やセピア色の時代設定に合っていました。今ひとつ浮気が似合うような色気は感じられなかったのですが、年配の夫と並ぶと新妻の可愛らしさにそこはかとない品のある色香が加わって、“おじさまキラー”といった感じでした。横に立つ人によってその人の印象も変わるものなのだな、と改めて思ったものです。もしもアニュータが同じ年頃の若い男性と舞踏会に現れたなら、男性たちはあれ程まで彼女に夢中にはならなかったでしょう。ルンキナ演じるアニュータはその点をよく感じさせてくれた…と言うよりは、むしろルンキナのアニュータだったから、そういう点に気付くことができたのかもしれません。
  ひとつひとつ挙げればキリがありませんが、特に印象に残ったのは、閣下と個室に消え、また会場に現れてからのほろ酔い姿。ほんのり上機嫌で陽気な様子が、よく表れていました。踊りのほうも最近は調子が良いようで、この日も中々のものでした。

  アニュータのかつての恋人であった学生は、ドミートリー・リィーハロフ。はっきり言ってしまえば、申し訳ないけれども学生というには無理があるという雰囲気。まず体型も髪型も若々しくない。アニュータの夢の中にすっと浮かび出るシーンなど、過ぎ去りし日に思いを馳せられるはずもなく、どちらかというと今そこにいる中年男というただの現実感。興ざめでした。リフトはちゃんと支えていたので良しとしても、それでもやはり、不満が残るのは否めません。せめて、もう少し身体を絞ってほしい。
  他には街の中や舞踏会で踊る女性、クセーニヤ・ケルン。舞台の雰囲気に溶け込みつつもどこかしら印象に残るという、丁度良い具合が良かったと思います。
  あと気になったのは、モデストの夢の中のアンナ勲章のシーン。ここだけ舞台全体を通して違和感のある場面でした。安っぽい舞台装置や演出が好みではなかったですが、このくらい軽く扱われる方が勲章に踊らされている人間の滑稽さが出ているのかもしれません。最後に雪降る街の中、父と弟2人がトボトボと歩き、揃って後ろを振り返る姿が痛ましく切ないです。最初に書いた通り、バレエとしてどう評価できるのかはわかりませんが、一作品として見るならば一見の価値アリです。ロシアの文学世界を堪能できます。

  

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